津和野日誌

津和野日誌

DIARY

【メンバー紹介】石飛聡司

これまであまり紹介されてこなかったYu-naのメンバーを、この津和野日誌で少しずつ紹介していきます!
今回は、第一弾としてYu-naの創業者といっても過言ではない、石飛さんについて!

■津和野との出会い

ー津和野との出会いのきっかけはなんですか
 2020年の2月に津和野でインバウンド観光に関する講演会の依頼を受けたことがきっかけです。出身が島根県出雲市だったので、出雲松江はよく知っており、石見地区だと学生時代に浜田にも行っていましたが、津和野のことは恥ずかしながら名前も知りませんでした。

ーその時の津和野の印象を教えてください。
 最初9号線沿いのところからまちを見下ろして、なんじゃこりゃ、と思いました。山を抜けたら急に町が出てくる、という光景はとても衝撃的でした。

 実は当時、ナビタイムトラベルというウェブメディアでライターの仕事を一部受けていたので、このタイミングで津和野について取材して記事を書こうと思い、沙羅の木さんで焼きアイスを買いながらゆったりまち歩きをしていました。またYu-naの企画でも度々お世話になっている「ゲストハウス野窓」のオーナーであるカナコスと当時から知り合いだったので、カナコスに「日本遺産センター」を紹介していただき、講演会以外の場でも津和野をたくさんの面から知ることができました。
(当時執筆の記事はこちらから)

 講演会参加者のみなさんのリアクションがすごくよかったこと。日本遺産センターの方の案内がとても丁寧であったこと。沙羅の木の店員さんがすごく優しかったこと。
 1日の滞在ではありましたが、どの方もとても印象がよく「津和野はいい人率100%だ!」と感じました。

しかしその後、コロナウィルスの感染拡大も相まって津和野にはなかなかいけずにいました。

ーその後、どのような経緯で、津和野との関わりが生まれたのでしょうか。
 もともと広島で「sokoiko!」というインバウンド向けのサイクリング事業を行っていましたが、新型コロナウィルスの影響で予約が全て止まってしまいました。周辺事業者が次々に事業を畳んでいっており、sokoiko!の今後についても様々な悩みがありました。

 そんな中でもありがたいことに、様々なメディアで取材をいただくことがありました。そのメディアがきっかけで、観光庁の方にヒアリングをしていただく機会があり、その際に「これから何をしていきたいですか」という質問をいただきました。
様々な葛藤がある中で出た答えは「sokoiko!を他の地域でもやってみたい」というものでした。

そんな時に、観光系の補助金があることを知り、他の地域でも事業展開ができる可能性が見えてきました。最初に取り組みたい地域として真っ先に浮かんだ町が「津和野」でした。それからすぐに、sokoiko創業当時から事業のサポートをしてくれていた松村くんに連絡をして、津和野町への補助金を活用した提案資料を一緒に作っていきました。

ーたった一度訪れただけで、真っ先に津和野が思い浮かぶってすごいですね
津和野に来た時、「この町を自転車で走ったら気持ちいいだろうな」と思っていました。特にときわ橋の近くにある電波塔のところから見える夕焼けがとても綺麗で「出雲のばあちゃん家から見える夕焼けみたい」だと感じました。
そんな記憶との繋がりもあり「絶対ここにまた帰ってきたい」って思っています。

今では、全国様々な場所でやらせてもらっていますが、自分にとって津和野は思い入れが強い地域の一つになっています。

■Yu-naの始まり

ー事業のスタートはいつごろのタイミングだったのでしょうか。
 提案資料を2020年秋に持って行き、年度内に事業が始まりました。まずはツアー商品を作っていくことがスタートだったので、松村くんと広島で「Asageshiki」というサービスをしている三村さんと3人で内容を考えました。
 津和野の中で様々な情報収集を行い、出会った「津和野百景図」という資源を活用して「keep the time」というストーリー性のあるツアーを作りました。これは自分が作りたい世界観を出せたツアー商品になったなぁと感じています。
 この年に、津和野城址でのAsageshikiツアーと秀翠園のツアーアイディアも出てきて、モニターツアーが始まっています。

ースタート当初に作ったツアーが、今でも続いているんですね
 もちろん、今動かせていないものもありますが、続けられている理由の一つに、町中の様々な方のサポートがあったことが挙げられます。津和野町役場の村田さんは、立ち上げ当初から一緒に相談に乗ってくれただけでなく「作るだけで終わったら勿体無い」という想いから、新たな補助金を探してきてくれて、Yu-naの活動が続くようにサポートをしてくれていました。

 他にも、観光協会の金子局長はじめ職員のみなさん、商工観光課のみなさん、Iターン・Uターンで活躍されている方々や地元の方々…ほんとに沢山の方々に助けられてきました。

■Yu-naの転機

ー続けていく上で影響を受けた方はいらっしゃいますか
 お名前もわからない方なのですが、僕と松村くんに大きな揺さぶりを与えてくれた方がいらっしゃいます。

 Yu-naを始めて2年目の2021年の初夏に、これからの方向性を考えている際に、Otsukai!ツアーでもお世話になっている畑迫の「ほたるの宿」で2人で打ち合わせをしていました。休憩しようと外に出て、目の前にある自動販売機のところにいくと、地域の方がいらっしゃり、話をすることができました。

 私たちが観光の仕事をしていることなどを伝えた後に、その方が何気なく「それって地域のためになっているのかねぇ」と一言。
 それを聞いて、とてもハッとさせられました。

 自分たちは、Yu-naという「事業」のことばかりを考えて、気づけば「どうやったら売れるか」などテクニカルな話ばっかりしてるんだ、と気づきました。改めて津和野の魅力を伝えるためには、それまで考えていた一般的な津和野の観光滞在時間「3時間」ではとても体現できないし、地域はよくならない。この一言が、そんなことを考えさせるきっかけになりました。

 その方との出会いがきっかけで、1泊2日の滞在型のプランも考えていく様になりました

ー役場を始めとする関係者だけでなく、たまたま出会った地域の方との出会いが、今のYu-naの根幹になっているんですね。
 今のYu-naは、本当に「津和野」という場所だからできたと思います。人口規模、役場の柔軟さ、移住者の多さ、地場の人とも関わりを持てた。様々な要因が絡み合っているからこそできていることがたくさんあります。そんな方々と一緒に先々を見据えた体制を作っていくことができたのは、本当に奇跡みたいです。

■これから実現したいこと

ーこれからの展望について教えてください
 今や僕にとって津和野は、ふるさとであり、帰ってくる場所になっています。
 だからこそYu-naを通じて津和野が「帰ってくる場所」になってくれるような方がもっと増えるといいなと思っています。
 コロナというタイミングで、次の自分の道を考えていた時に出会えた津和野は、夢を見させてもらった場所だと感じています。だからこそ、ずっと関わっていきたいし、これからも新しい価値を生み出していきたいです。